重複 第6回目の時 注意 で上重聞き取り入力登録済
昭和47年10月29日 特別奉修委員会
不安な、心配、又は焦燥の時でも、腹が決まれば安心が出来る、信心はそこの所のこつを体得して行く、もう腹が決まったら修行が楽しゅう成って来る。
おかげ頂かなんから、一生懸命修行しよる、おかげならんから一生懸命参りょうる間は、おかげにならんともうあの二の足を踏むごとなって来る、しるしゅうなって来るね。
それが思うごとなれば別ですよ、おかげを頂く為に本気で修行する、そしておかげを頂けば良いけれども、思うとるならええけれども、神様はこちらが願っておるおかげなんかって言うか問題ではない程のおかげを下さろうとして居るんだからね、何時の場合でも、だからあのう、それがおかげに成らない場合になって来るね。
けれども本当のおかげを頂くということは、こりゃもうとにかく、難儀というかその困った心配事の中から早くそこを逃げ出そうに、というような姿勢であったり、何時まで経っても本当の事から逃げられないですね。
本当にあんまり苦しいから外に出て見る、そとに出て見るとやはり外もやっぱりあの苦しいでありますから、それを繰り返しよってもいくら同じ事ね。
それこそ、佐渡おけさの文句じゃないけれども、あまりの辛さに外に出て見ればってね、外は吹雪で尚辛いとか寒いって言う文句が有ります様にね、ですからそこからですねそれだけ自分が辛いだけならいい、そっから思いもかけないおかげが、おかげがない反対の事に成って来るんですよ。本当の時には。
ですから、そういうねあのそっから逃れようなんて事じゃ無くてね、もう本気でね神様がさして下さる修行なら、一つ本気でしょと言う気に成ったら、心が楽うになるです。
そして修行が楽のしゅうなるです、是は私の体験ですね、今日も申しました様に、あの世の中に、あの世の中はいい、どうしてこげな思いが出来るいやろうか、楽しゅうやっとるからこげなふうね。
ですからそれがおかげを頂く、本当なおかげを頂元ですし、自分が助かるということは、腹が決まった時には既に足すかっとる時です、腹が決まった時には焦燥も無かなりゃ心配も無くなるです、もうあだ心配がある不安である。色んな物があるならねまぁだ腹が決まってない時です。
腹、それはどういうことかというとね、ままよと云う心です、ももよとは死んでもままよの事ぞと仰る。そう云うままよ、そん時腹が決まって来る、だから是には言わば十二分の徳というのは、神様が下さろうとしておるおかげという意味です、私共のおかげというのは、はぁおかげ頂いたと言うてもそれは十分のところね。
だから思い以上のおかげを下さろうとする働きの時に、必ず私共がねいわゆる、ままよと言う心なれよ、ままよとは死んでもままよの事ぞ仰る、もうそれこそ矢でも鉄砲でも持って来いと言う腹が出来るのです。
皆さんここのところをね、味わいをひとつあの味おうて頂きたい、そこを抜けきらなければ本当の自分の助かりは有りませんよ、現在ぐずぐず苦しい中から果敢におかげを頂きたい、早く楽に成りたい、というて一生懸命そりゃお参りしょっても。一生懸命修行しよってもね、それじゃ詰まらん、腹が決まっとらんから。
それがしるしゅうなって来る、しるしゅうなってからもう修行の値打ちはなかね、腹が決まるということ、まあ是はいわゆる形のお繰り合わせより、心のお繰り合わせを願えと言いなさる。その事だと思うですね。
どうぞ